朝になる子が昇る日に
原作:蝶子
あの子を見送った日の事は今でも覚えている。
今日のように快晴で、生き物が動き出すには最適な日だった。あの時の気持ちを思い出す事はもうできない。穏やかだったような、虚無感だったような、今はもう分からないのが少しだけ寂しい。
寂しいと言えば、あれからどれくらいが過ぎただろうか。
蝶子、あんたは数えた事があっただろうか。生きているって、あっという間にいろいろ過ぎて行ってしまうものだ。もちろん、私と蝶子が一緒に過ごした時間だって、あっという間に過ぎていったと笑い合った事もあった。あの日の私たちは、もう過去に行ってしまった。
思い出をなぞるような行為はむなしいだけだと誰かが言った。でも、何もしなければそれは忘れて消えていってしまうじゃない。私にはそっちの方が耐えられない。
大切な物を、大切にしたいものを、自分から捨てようとするなんて馬鹿みたい。例え苦しくったって、それも含めて私の大切なモノなんだもの。
灰色が舞っている。
空に飛んで、ひらひらと、まるであの日の羽ばたきのように。
ねえ、蝶子。溶けて行くって怖くなかったのか、訊いてみたいの。
私は怖いよ。あんたは強いね。望む姿には、違ったかもしれないけれど。
憧れた蛹のように、あんたは溶けて次へと向かったのだと、私は今でも信じていたい。
今年もまた、この季節が来た。小道に生えた草花に小さな白が浮かび上がって風に乗ってどこかへと飛んでいく。その先に蝶子がいるような、そんな気がしても、私はそちらに足を向ける事ができない。
会いたいよ。ねえ、会いたいんだよ。まだ会えないんだよ。
蝶子を送りだしたあの日、その姿が鉄の扉を隔てた向こうで燃え溶けていくその時、私は。
「蝶子、私ね、結婚するんだよ」
あの時抱いていた思いは未だに胸にある。それが何なのか、今さら気付いても遅く、かといってあの時気付いていても何にもならなかっただろう。
私は蝶子の抜け殻が眠る場所で泣きながら笑って報告をした。
ねえ、蝶子。と、私は声を詰まらせる。灰色が頭の中に舞い上がる。
ねえ、ほんとうは、あなたに、本当は。今になって、過ぎ去ってから気付いたの。
「私の旦那になる人ね、私にプロポーズしてくれた時、綺麗な花をくれたんだよ」
貰った花を持ち帰る道で、飛んできた蝶が花束で翅を休めるのを見て、苦しくなった。
「私ね、あんたの、蝶の止まる花になりたかったんだ」
もう、止まって欲しいあんたはいないけど。
生きてるってあっという間にいろいろ過ぎていっちゃうんだよ。
寂しいよ、なんて。
「きっと、幸せになるね」
2016-09/04