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うそじゃないよ、嘘じゃない。

 物ごころついた時、周りは知らない大人ばかりだった。
 手に持たされたのは冷たくて重たい銀色のナイフで、尖った切っ先は肌を裂いて肉を抉るものなのだと教えられた。
 うるさくて汚い声が嫌で、いつも耳栓をして外に出る。
 言われた通りに示された人に近付いて、腰のホルターからぎらりと血を求めて光るナイフを取り出して突き刺すだけ。毎日がそれの繰り返し。
 何が嫌だとか、どこが間違っているだとか、そんなものはどこにもない。
 刷り込みのように日常となった行動が、兎宮の全てだったからだ。
 ただ、ナイフを突きさす者に興味もなければ、自身をそうして生かし続ける周りの大人たちにも興味を持つ事はなかった。
 何も考えないで、ただ言われた通りにするだけ。生きているけれどまるで操り人形みたいな生活。
 だから周りの大人たちが全員ただの肉塊になってしまっても、なにも思わなかった。
「おや、子供が一匹いるわねえ」
 辺り一面の赤黒い中に立った銀色の人物を、ナイフみたいだと見上げていれば、紫の目を細めて彼は背後から駆け寄ってきた子供の頭を撫でた。
 身の丈くらいあるだろうライフルを持った子供は嬉しそうに目を細めてその手を享受している。
「えらい? がんばったよ、えへへ」
 頬を赤らめて笑う子供の足の向こう側で、ふさふさとした黒と茶色の尻尾が揺れる。
 硝煙の臭いが鼻をかすめた。
 あまりにも無邪気に笑う子供には不釣り合いな臭いだ。
「たまたま生き残ったみたいだけど、僕はどうしたい?」
 銀色が怪しく笑った。
 何を言っているのかわからない。質問というものを投げかけられた事も、選択するという行為自体も経験した事の無かった兎宮は、ただ瞬きをするだけ。
「ころしちゃうの?」
 子供が首を傾げた。
「どうしようかねえ」
「……こせ」
「んー?」
「つれてかえろ?」
「おやおや、きにいっちゃったの?」
「だってきれいなみどりいろだよ」
 子供はそういうと兎宮の顔に顔を近付けた。
 瞬きに見え隠れする瞳を見て、きらきらと目を輝かせる。
 合わせられた目に呑み込まれそうな感覚に陥りながら、兎宮は無意識に子供の頬に手を当てていた。
 柔らかくて温かいそれが、胸をいっぱいに満たして行く。
 自分と対して変わらない大きさの体に抱きついて目を閉じる。そのまま兎宮は意識を手放した。
 抱きつかれた子供は特に抵抗もせず、背後の保護者を見上げて無邪気に笑った。


 いつだってそうだった。


 彼が向けてくる顔は優しくて無邪気で、温かい。
 あの日、綺麗だと口にした声が名前を呼んで求めてくれるのが心地良い。
「うさぎ」
 泣きそうな顔にぞくりとした感覚が背筋を走った。もっと、もっと、そのか細くなった声で懇願して欲しい。
 自分だけ見て、自分だけ求めて、自分の事でいっぱいになって。
 汚い気持ちと独占欲で頭がおかしくなりそう。
 愛してるから大事にしたい。愛してるから独り占めしたい。
 他の誰も、その目に写さないで。
 大事にしたいのに、優しくしたいのに。
 殺してしまいたいだなんて。
「やだよ、どうしてそんな事いうの? やだ……」
 泣きながら嫌々と駄々をこねる狸安を今すぐ滅茶苦茶にしてやりたい。
 愛してたいから、壊したいから、守りたいから、殺したいから、生かしたいから。
「僕を殺してよ」
 壊してしまう前に。
「お願い、狸安」
「やだ……やだよぉ」
「だって、そうでなきゃ……僕は」
 嫌だと震える唇を食んで呼吸に動く首に手を回した。
 皮膚の感触と、苦しさに喘ぐ唇と、熱くなる肌が心地良い。
 このまま、殺してしまったら、彼の中に留まるのは永遠に自分だけになるのだろう。
 兎宮は弱くなる抵抗で我に返って手を緩めた。
「狸安!」
 せき込んで蹲った狸安を抱き締めて、その背中をさする。
「ごめん、ごめん、狸安ごめん」
 肩に顎を乗せて、せわしなく酸素を取り込む音を身近で聞きながら、兎宮はただごめんを繰り返す。
 抱き締めた体が温かい。
「いいよ、もう、いいよ。うさぎは悪くない、だいじょうぶ、大丈夫だよ」
 抱き返された腕が愛しくて、どうしてその手で突き放してくれないんだろうと唇を噛んだ。
 本当は突き放されたくはない。一人にされたくはない。
 それでも、殺してしまうかもしれないなら。

「本当に、うそつき」

 狸安の言葉が胸に刺さって、涙を呑み込むように目を閉じた。

「殺したいくせに」




(やさしいから殺せないくせに)



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