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家畜小屋の弟

 俺の目は良くない色をしている。
 生まれてきちゃいけない人の目だって、物心付く前からずっと言われきた。
 殴って蹴られて、首絞められて。吊るされたり、川ん中に顔付けられて頭押さえられたことだってある。
 でもどれもそれが俺にとっての当然で、それ以外は知らない。
 殴られるのも蹴られるのも、凄く痛い。容赦なんて言葉、俺に与えられるはずもなく、骨が折れるのだってしょっちゅうだ。
 でも忌子の俺は、目の色だけが悪いんじゃない。
 自分でも驚くくらいに、肉体の回復が早いんだ。
 ただの骨折なら五日もあればそれなりに繋がるし、痣も切り傷も、まあ、程度によるけど、普通の人間なんかよりは治りが早い。
 だから余計に忌子で、魔女の子だとか言われるけど、俺の両親は普通の人間だし、兄さんだってこんなおかしな体はしちゃいない。
 なんで俺だけこんな体なんだろうなって、考えたこともあったけど、そんなの考えるまでもねえ。
 忌子は生贄だ。
 俺は村の生贄。ただそれだけ。
 どんだけ酷くしたって、絶対に殺されない、家畜。
 両親の顔なんてもう覚えてないし、誰がそうかなんてのもわかんねえ。
 俺がわかってるのは、兄さんだけ。
 人間として扱われることのない俺に、人として接してくれた唯一の人。
 家畜役の俺と違って、兄さんは肉屋だ。
 村んなかで兄さんを嫌いな人なんてまずいねえってくらい、人好きされる人格で、いつだって温和に笑ってる。
 あの笑顔が崩れることなんて滅多にない。
 でも俺は知ってる。あの綺麗な顔ってのは、本物じゃなくて、繕って纏ったものだって。
 村はずれに作られた家畜小屋が俺の住処で、勝手に遠くに出れねえよう、足に枷を付けられてんだ。
 長い鎖のおかげで、小屋の裏にある水場で体あらったりはできるんだけど、村の中へは絶対に入れねえ。
 大体、小屋の中で生贄として殴られたりするか、足枷外されて、代わりに首輪つけられて村ん中引っ張られてそこでやられるかのどっちか。
 残飯よりも酷いんじゃねえかって食事だけ、毎日運ばれてくるけど、もう味なんてわかんねえし、味覚なんてない方がいいって思えるくらい。
 毎日誰かしらやって来て、俺のことを殴ってくんだけど、どういう物好きなのか、身ぐるみ剥いで犯されることだって少なくない。
 そりゃあ初めての時はすげえ怖くて、痛くて、こんなの絶対に間違ってるんだって思ったけど、家畜である俺に拒否権なんてありゃしないから、いつだって泣いてることしかできない。
 慣れちまえば、犯されるのも殴られるのも、たいして変わらねえって思えてきて、今じゃあもうどうだっていい。
 殴られるのも蹴られるのも、痛いのは慣れたし。
 でも一つだけ嫌なことっていったら、腕や足にナイフ付きたてられて肉を抉るように裂かれたこと。
 痛いなんてもんじゃなくて、今までのどの暴力よりも怖くてしかたなかった。腱や筋を切られて動かせねえ体で、死ぬんじゃねえかってくらい血が外に流れだしていくのがわかった。
 痛いのは慣れてたはずだったけど、今までそんな死に近づいた事なんてなかったから、襲ってくる寒気にも似た恐怖と痺れるのに痛みだけは鮮烈に感じる体が怖くてしかたねえ。
 その上で犯されて、もう意識なんてはっきりしなかった。
 あん時は本当に死ぬんだって思ったけど、たまたまやってきた兄さんがそれを見つけて、俺は死なずに済んだんだ。
 俺を痛めつけてた三人の肉屋は、どうやら村の人間じゃなかったらしくて(よく考えたら村の人間は俺に殺すような危険は負わせない)、隣村を騒がせたらしい殺人鬼集団だったらしい。
 そん時の兄さんの顔を俺は多分一生忘れたりなんてできない。
 笑顔の消えた、無感情の冷たい緑の目。
 引き締められた口は息してんのかも疑わしくて、振り上げた包丁で俺を抱いてた男の首を掻き斬った。
 生温かい血が俺の顔や体にかかって、濁った目に映ったのは、返り血を浴びた兄さんが俺から男を引きはがしてる姿だった。
 男の仲間たちは兄さんに気付かなかったらしくて、一人目が殺されたことで、この場に他の人間がいることに気付いたらしい。
 兄さんなんかよりよっぽど大柄な男が二人、俺に突き刺してたナイフ引き抜いて、兄さんに向けた。
 引き抜かれた痛みなんてもうわかんねえくらい痛くて寒い俺は、小さく痙攣するのがやっとで、逃げてと口に出すこともできなかった。
 このままじゃ、兄さんが殺されるって思ったけど、そんなのは見事に裏切られた。
 遠のく意識の中で男たちが血を噴いて倒れた。
 真っ赤に染まった暗い小屋の中で、兄さんは一人だけ立って、手にした包丁を未だに辛うじて意識があったらしい男の首に突き立てて、ゆっくりと俺の前にくる。
 赤を浴びた中でも、夏の露草みたいに綺麗な目が細められて、今まで結ばれた口が初めて綻んだ。
「ハイド……」
 優しい声で名前を呼ばれて、刺されたままだった最後のナイフを引き抜かれた。
 もう体を動かすこともできなくて、ああ、死ぬんだって思ったけど、兄さんに看取られていくならそれでもいいかもしれない、なんて考えてたら、がしゃりと足枷が外された。
 あったかい手が俺の頬を撫でた気がしたけど、そん時にはもう意識を手放してた。



 次に目が覚めた時、俺は今どうなってんだろうって、思った。
 見慣れた天井がそこにあって、天国だか地獄ってのは、意外と生きてた場所となんにも変わんねえもんなのかって。
 だけど覚醒した意識で嗅ぎ取ったのは、錆びたような濃い血の匂い。
 はっとして体を起そうとしたけど、俺の体はぴくりとも動かなくて、辛うじて目だけで辺りをうかがえば、緑の瞳と視線が絡まった。
「に……さ……」
 声に出したはずだったのに、すーすー息が抜けるみたいな音しか出なくて、まったく言葉にならなかった。
 それでも自分を見た彼は何が言いたかったのか分かってるらしく、綺麗な指で額にかかった髪を梳くようにどけられた。
「ああ、咽喉も大分傷ついてるから無理にしゃべらない方がいい」
 冷たい指先が心地よくて、目を細めると、慈しむような顔をした兄さんの指が、下におろされていく。
 頬を這って、首をたどり、肩から腕へ。
「酷い傷はちゃんと縫ったし、もう数日したら動かせるようになるよ。殺す気でやってきた連中だったから、普通の人間なら死んでたけど……。もう少し遅かったらお前でも死んでいたね」
「あ……、……」
「出血が酷かったから、いつもより回復に時間がかかるみたいだね。治るまでは誰もここに来たりしないから安心しな」
 包帯を手にした兄さんが、俺の手を持ち上げた。
 目だけで追えば、赤黒く滲んだ包帯が外されて、その下に出てきた縫い傷が露わになる。
 おおざっぱに縫われたそこは、いくらか開きかけの傷口があるものの、そんな事指摘するまでもなく、兄さんが包帯を替えて行く。
 白い指を汚した自分の血が酷く醜いものに見えて、心のなかでごめんなさいを何度も繰り返した。
「体が動かないのは薬のせいだよ。いくら痛みに強いお前でも、動かされたら本当に壊れるからね」
 なんてことないように、醜い傷の処理をしながら兄さんは笑う。
「やっぱり、お前をいつまでもここにおいておくわけにもいかないか……」
「…………」
「違うよ、捨てようとか殺そうとかってことじゃない。今回の事でやっぱり俺が駄目だった」
 駄目って何が駄目だったのっだろうか、わからなくて目だけを向ければ、闇を称えたように冷たい笑みで、兄さんは足の包帯を替え始めた。
「お前が誰かに痛めつけられるっていうのは、やっぱり駄目だ。村の奴らがいくらお前を家畜として扱おうと、限度を外せばいつ殺されるかもわからない。それに、今回みたいなこともある。現にあいつらのせいでお前は死にかけた」
 しゅるしゅると包帯を巻きながら、低く優しい声が脳を揺さぶった。
「俺はお前を他の誰かに殺されたくはない。お前を壊すのは、俺だからね」
 残酷で物騒な事を言ってるはずなのに、その唇が紡ぐ言葉は酷く甘い。
 動かない体の代わりに、瞬きを一つして、掠れる咽喉で息を押しだす。
「にぃ、さ……、お……、……さ……」
 伝えたい言葉があるのに、咽喉のせいで声になって兄さんに届かない。それが悔しくてもどかしくて、情けない。
 俺の中にあるのは、両親でも村の人間でも神様でもない。優しくて残酷な兄さんだけ。
 だから、兄さんに俺が壊されるなら、それは一番の幸福な出来事だ。
「汚いお前は俺だけのもの。俺だけの愛しい弟で、俺だけの家畜役」
 包帯を巻き直しながら、縫っても傷口がまだ塞がらないそこに爪をたてられると、じわじわと血が滲んだが、薬のせいで痛みなんてわかりゃしない。それが少しだけ残念で、そう考える自分が浅ましい。
 白い指を赤く染めて、綺麗な緑の目を細めると、手早く包帯を巻き終えて、その手を俺の首に絡めた。
 自分の血が首に痕をつけて、白い指がくっと肌に食い込む。
 気道を閉められて、酸欠を起こしそうになる頭がくらくらして、意識がぐっと狭まった。
 でも、それはとても心地が良くて、この首を絞めて、俺の命の手綱を握ってんのが兄さんなんだって思っただけで、凄く満ち足りた気持ちになる。
「……っ、ぁ……は……ひ」
 酸素を求める肺が唇を動かすけど、そんなんで空気なんて取り込めなくて、じわりと滲んだ視界に映ったのは、俺と同じように幸せそうな顔をした兄さんだった。
 その顔だけで、俺は自分が置かれてる状況なんてどうでもよくなるくらい嬉しくて、息をつめながら細くなる視界で兄さんだけを見つめていた。

「ねえ、ハイド……」

 耳元に顔が寄せられて、首を閉める力が弱まると、俺は開いた気道で足りない酸素をこれでもかってほど取り込む。
 甘ったるい呼び声が、酸素が体に行き渡るぞくぞくとした快感と共に俺を満たして行く。
 俺を名前で呼ぶのは兄さんだけ。兄さんだけが、俺を生贄の家畜から人にする。
 ぜいぜい息する俺の唇を指で押して、愉悦に笑んだ緑が浮かぶ。
 あの綺麗な瞳と、自分のこの汚い瞳が同じ物質で、同じ部位だなんてまるで信じられねえ。
 兄さんの目に映るのが自分だってことが、この上なく幸せで嬉しいのに、それによって汚い俺が兄さんを汚してるんじゃないのかって考えると苦しくて仕方がない。
 だったら兄さんの目に映らないようにって言えばいいけど、この口は腐ってもそんな事言えない。言いたくない。
 俺なんかよりも、よっぽど頭のいい兄さんは、こんな考えお見通しなんだろうか。
 唇をなぞる指の心地よさに、呆けていると、顔を上げた兄さんが俺を見下ろして綺麗な唇を震わせた。

「……この村から出て行こうか、二人で」

 まるで外に散歩にでも行こうというかのような軽さで、兄さんは囁いた。
 その言葉が一体どういった意味なのか、頭の回らない俺には理解できなかったけど、俺の唯一絶対の存在が洩らした言葉に、肯定の意味を込めて目蓋を降ろした。



(救いなんてありゃしない)



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