ダンス
「私は、貴方にそこまで気を許しているわけじゃない」「じゃあ、どこまでなら許してくれてるのかな?」
月明かりが部屋を照らす高い開き戸の窓の横、手触りの良いカーテンを背に、腰を抱き寄せられて、白雪は視線を下に反らした。
どこまで許すも何も、常識的に考えてもらえば分かることだ。第一、この状況自体がおかしい。
「私は男です」
「うん、僕も男だけど?」
そうだ、男が男に腰を抱かれて壁に詰め寄られるなんて状況がまず間違っている。そんなものは女性にするべきなのであって、幼馴染にあたる目前の王子様は見た目だって悪くないのだ。女性に今の白雪と同じことをしたら、さぞかし喜ばれるだろう。
「なら、わかるでしょう? 全面的に、間違ってる」
そう間違っている。腰を抱かれている状況も何も。
「こういうことは、女性にするべきだ」
「そうは言っても、ねえ……」
さらに距離が詰められて、髪を避けて耳元に口が寄せられてしまい、体が固まる。
近いという距離ではない。それ以前の問題だ。
それこそ男が男に対して取る距離などでは絶対にない。
「白雪以上に可愛い子もいないし、なにより……」
白い耳に唇が押し当てられて、女性だったら身を震わせて喜びそうな声で、一番厄介な問題を繰りだされる。
「苦手なんだから、しょうがないじゃないか」
そう、一番の問題点はこの王子が女性が苦手……もとい、女性嫌いなのが原因なのだ。
拒否してはいるものの、白雪ですら容姿は美麗だと思っている一国の独身王子。確か今年で二十一歳になったというのに、未だ花嫁や浮ついた女性の噂ひとつも浮かびあがらない。
国王である彼の父は彼と違って無類の女好きなのだが、どうしてそれが息子に遺伝しなかったのか。なんという不条理。
しかしそんな国王は、決して王子に対して無理に女性を当てがおうなどとはしない。女性嫌いの原因を作ったのが国王自身だということも起因しているのだろうが。
後継ぎ世継ぎなど、大した問題ではないとのこと。無理に子をなさずとも、孤児などを養子にすればよいとの考えには、少々無理があるようだが悪い考えではない。
もちろん、王子が嫁を娶って子を成すのが一番いいのだろうが。
「だからって、どうして私なんだ! 貴方ならそれこそ稚児になりたいだとか、愛人にとか、寵愛を望む者だって探せば多いでしょう」
女性受けが良い容姿というのは、同時に一部の男性受けも良いということだ。高嶺の花と見上げるだけの恋心を抱いた者だって少なくはない。
「ああ、そんなものに興味はないよ。それともなに? 白雪は僕が他の子を愛してるのを見てるのが楽しいの?」
「なぜそうなる」
「でも残念。いくら白雪がそういう変態な思考があっても、さすがに白雪以外に触れるのは嫌だから、ごめんね?」
「ふっざけるな、私が変態なんじゃない、貴方が変態なだけろうが!」
叫べば、耳元から顔が離され、正面から視線を合わせられる。その顔は心底驚いたような表情で、意味がわからない。
「な、なんですか……」
「白雪、どうしてそんなにツンデレなんだい?」
「……意味が、わからない。貴方と話していると頭が痛い」
話がかみ合わないことがこの上なく歯痒い。
どうして自分はこんな人間と小さい頃から付き合いを持って生きてこれたのかさえ不思議で仕方がないくらいだ。
「じゃあ、横になるかい? もちろん僕のベッドで、だけど」
「……もう嫌だ、ふざけるな、本当になんだっていうんだ」
泣きたい気分になる。悔しくて顔を反らせば、笑うように吐息を溢す音が耳に入り、腰から手が外された。
「白雪王子」
声と共にすっと前に跪かれ、白い手を片方恭しく取られた。
この先に何があるかなんて、わかりきったことで、拒否すればいいのに体は動かずなすがままだ。
それは仕方がない。だって、年下の自分に跪き、姫にするような紳士的な愛情表現をする王子は、とても絵になる。たとえ白雪が姫でなくとも。
「今宵のダンスのお相手を願えますか?」
形の良い唇が手の甲に押し当てられる。
言葉とは裏腹に、見上げてくる目は獰猛さを含んで、紳士的とは言い難い。
白雪にそれに応える以外の選択肢は与えられない。
今、こうして彼の国に無償で匿って貰っている身として、反抗などできるはずもないのだ。
それでも、この王子に全てを捧げられるはずもない。
だってそうだ、こんな王子に、全てを許せるものか。
「私は貴方に全てを許しているわけではない。貴方にとって、私はただのダンス相手でしかないのだから」
何度、何夜、彼とダンスを共にしようとも、それはただの相手でしかないのだ。
そんなもののために、全てをくれてやることなどできはしない。
「どうしてそんなことを言うんだい? 僕には白雪だけだよ」
立ちあがった王子に頬を撫でられる。
嘘つきと張り倒したい気分だ。
その声も、その愛情も、いつかは全部他人のものになる癖に。だから一番欲しいものを与えずにダンスだけをせがむのだ。
「私は貴方を信じない」
全てを捧げるには、どうしようもなく空しい現実だけを見ろということだ。
そんなことはごめんだ。
都合のいいだけの、玩具になぞ、なってやらない。
「ダンスのお相手は引き受けましょう。さあ、どうぞ。私をエスコートしてください」
そう言って、目を伏せる。
柔らかい唇が目蓋に降ってくるが、決してその唇が望む形に震えたことはない。
それは多分、これからもきっと。
だから白雪は最後の一つを拒否し続ける。
「私は貴方を愛さない」
(だって貴方が私を愛してくれないから)