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塔の上にて春を待つ

 気付いた時には血の繋がる両親などいなかった。などと言うと多少語弊がある。この世に生まれ落ち、生を得て目を開いた時点では確かに両親は居たのだ。そうでなければこうして生きている事もない。正確には物ごころついた時には、両親はいなかった。
 与えられていた世界といえば、己のいる高い塔の部屋と、額縁のように区切られた窓から見える景色だけだ。
 窓は広めに作られており、身を乗り出せばそれこそ落ちても不思議ではない。地面は草で覆われているが、所々に塔の外壁を成す煉瓦と同じ物が見え隠れしていた。
 与えられた部屋には衣食住に必要なものは揃っている。書棚には様々な本も詰まっている。円形の塔ではあるのだが、窓が点在する反対側は平面な壁があり、木製の扉が一つあった。扉を開けば階段が螺旋状に闇の底へ続くように伸びている。それもそのはずで、窓があるのは最上階の一室だけなのだ。階下へ行く事は出来ても、道中にもその先の部屋にも窓などない。等間隔に壁に置かれたランタンに火を灯しながら行動する事が、この生活の一つのプロセスだ。
 各階の部屋には膨大な書物や薬品、薬草の類が安置されている。一部屋に収まりきらない書物は延々と下へ続き、本来は数階建てであるはずの塔も、窓がないせいで高さの感覚を失う。地下まで続くこの階段は、注意深く確認しなければいつ土の下にいるのかも分からなくなる。
 階段から部屋に入る扉以外に窓のない建物ではあるが、一階部分には階段とは別の鉄の扉が隅に存在している。厳重な鍵で固定され、内側から開く事はできない。
 触れれば冷たく指先を打つ温度は、壁の冷たさとはまた違う。幼い頃は出たいと思った事もあったが、年月が経つにつれてさほど興味はなくなった。
 結っていた煩わしい長い髪を解き、塔の住人であるラプンツェルは窓際へと移動する。
 開け放った窓から己の髪を外へ垂らせば、床に付くくらいでしかなかった髪が長さを増し、地面につくほどまでに伸びて行く。
 日の昇り具合を見れば、そろそろの筈で、少しばかり温かくなった日差しを受けながらうつらうつらしていると、塔の下から呼び声が掛かった。
「また、そんな所で寝ていては風邪を引きますよ」
 声の主を見下ろせば、黒いフードを脱いで赤い目を細め苦笑を洩らしていた。
「おはよう、師匠」
 へにゃりと笑ってみせれば、ラプンツェルを育てた魔法使いが溜息混じりに垂らされた髪に手を伸ばした。
 房を掴めばふわりと体が浮き上がる。引き寄せられるように髪の毛と共にラプンツェルのいる窓へと身を潜り込まる。
「おや少し伸びましたか? 整えましょう。おや、枝毛も……」
 肩から下げていた鞄を置き、コートも取り去ると、赤い目を細めて薄い桃色の髪を魔法使いは手で梳いた。
「いいよ、枝毛とか……。どうせ髪に興味なんてない。男だし」
「男女の差など関係ありません。せっかくこんなに美しい髪なんですから」
「……その美しい髪を掴んで塔に上る師匠もどうかと思う」
「仕方がないでしょう、そういう決まりなんですから」
 部屋の空いたスペースに椅子や挟みを持って断髪の準備をする魔法使いは肩を竦めて見せる。
 ラプンツェルが居るこの塔は外との繋がりや内部の構造に関しても特殊ではあったが、一番特殊なのはもっと別の所にある。ただ単にラプンツェルを幽閉するだけならば、外から鍵を掛けて一階の出入り口から行き来すればいいのだ。しかし、それは叶わない。鍵を無くしたから開けられないという訳でもない。ラプンツェルがこの塔に入った時点で、入口は機能しない物となったのだ。同じ場所にあって冥府へと繋がっているかのような、曖昧な場所に存在する塔は、内包した主人以外を異物として扱う。無理に外壁をよじ登ったり傷を付けて入ろうとすれば何らかの災害に遭い目的を果たす事無く人は朽ちて行く。それがこの塔の呪いだ。中に入る手段は塔の住人であるラプンツェルの招きに呼ばれる事。その手段が長い髪だ。塔へ入る鍵と言っても過言ではない。髪に触れればいい。本来は髪を使ってよじ登る事で塔に入る事ができるのだが、人の頭皮にそれは酷な事だ。普通の人間では例え髪という鍵を手にできたとしても上るのは難しいだろう。魔法という能力があって、初めて訪れる事が出来る。
「師匠……」
 準備が出来たからこちらへ座るように促そうとした魔法使いだったが、窓の外を眺めたまま目を細めたラプンツェルに動きを止める。
「ニンゲンだ」
 若草にも似た緑の目が、うっすらと赤く色づいて行くのを見て、魔法使いはラプンツェルの腕を取って窓から引き離した。
 脇にあったベッドの上に放り投げられ、薄桃色の髪が無造作に広がる。まるで幾筋もの川のようにシーツに散ったを見下ろして、魔法使いは瞬く赤い目を手で覆って隠した。
「駄目ですよ。人は駄目です。男も女も、みな等しく下賤なのですから……」
 耳元で囁いてやれば、瞬く睫毛が魔法使いの掌を擽る。塔の外から誰かいるのかと問いかけられる声を耳にしながら、ラプンツェルの名前を柔らかく呼ぶ。
「大丈夫、貴方を脅かすものは私が全て消してあげます。私の可愛いラプンツェル」
 人の子として生まれながらも、両親の取った行動によって人としても、魔法使いとしても半端な存在である少年に、師は一つキスを落とした。


(優しい鳥籠だった)



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