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鍵を取る

 全て見掛け倒しでしかないと吐き出した息に色は無い。
 目の前の煌びやかな光景には到底興味が無かった。ただ見せびらかす為だけの場に何の意味があるというのだろう。どうせ奪われるだけだというのに。
「御子息はまだ新しい狗を御飼いになっていないのですか?」
 父に付き従って賓客に社交辞令としての挨拶を述べていれば、何度聞いたとも知れない台詞を耳にする。
 狗と言えば聞こえはいいものの、それは所詮ただの奴隷とも等しい。中には専属の世話役としての狗もいるが、下世話な貴族の会話に上る大半の意味は都合のよい奴隷がほとんどである。
 問うて来た男は肥えた腹部を擦りながら、でっぶりとした顔で愛想よく笑って子息であるジルに目を向けた。
「ええ、まだ。良い者が見つからなくて」
「中々に好き嫌いが多くて。お恥ずかしい限りです。男爵がお持ちのような、良い狗がありましたら是非ご紹介頂きたいものです」
 にこりと笑みと当たり障りのない言葉を返してやれば、父が続けて相手を立てるように言葉を続けた。自分の一歩後ろに控えた狗である美しい青年を褒められた男は満足そうに笑い、狗もまた礼儀正しく小さく頭を下げた。
「ああ、そうだな。良いのが居たらご紹介しよう!」
 濃紺の礼服に着飾られた狗の尻に手を伸ばして撫でさすりながら得意げにする姿にジルは内心で毒づいた。
 気持ちが悪い。それが一番の理由だ。
 物ごころついた時、狗というものは身近にあった。それは父の所有物であり、今は出て行った兄の所有物であり、また、母の所有物。最低一人一匹は持っていた。当然ジルにも通例の様に狗は与えられた。
 世話係としての狗は身の回りのあらゆる事をつき従い手伝ってくれていた少し年が上の少年だった。年の離れた兄にも優しくしてもらってはいたが、彼も社交の場に出るようになれば弟との触れ合う時間等減って行く。自然と狗を兄の様に慕う様になっていたが、いつのことだっただろう。父がその狗を押し倒しているのをみて吐き気がした。そしてジルは泣いて捨てないでくれと、何でもすると、服を脱ぎ全てを好きにしていいからと縋る最初の狗を捨てた。そしてすぐに次の狗が与えられた。
 次の狗は少女だった。可愛げのある子ではあったが、いつでも何かに怯えるようにジルに接した。必死に機嫌を取って粗相など無いようにと励む姿はいじらしくもあったが同時に煩わしくもある。ある夜、衣服を脱いで未だ育ちきらぬ姿を晒してベッドに腰掛けジルを待っていた事があった。少女は怯えた表情で笑みを浮かべながら、夜伽を申し出た。目を丸くして絶句していれば、兄が笑いながら背を押した。「初めてでお前を傷つけてはならないから、慣らしてある」と、告げた兄はさして大した事等ないと言いたげだ。兄の手前、無碍にする事も出来ず困っていれば、仕方のない奴だと苦笑され兄に服を脱がされ共にベッドへとのし上げられた。翌朝、甘ったるい声で気を引き強請る事をするようになった狗を捨てた。
 次の狗は兄くらいの年頃の青年だった。数年を共に過ごし、信頼も寄せるようになったが、笑顔と優しさの裏に隠された母との夜伽を目撃してしまえば、後は他の狗と同じだ。
 その後も幾つかの狗を選んで過ごしたが、どれも長続きする事等なかった。
 その内、狗を選ぶ事も億劫になり、好みの者がいないなどと言い訳を付けて何も飼わないでいる。狗を持つ事が当たり前の周りから見れば、異質に写るのだろうが、ジルは気にする事は無かった。
 賓客への挨拶回りが済めば、後は自由にしていられる。
 興味のない客たちの中にいるであろう友人を探してホール内を進めば、テラスで涼む二つの影を見つけた。
 黒髪と金髪がまるで夜と月のようで自然と目が細まる。
「寒くないの?」
 喧騒から離れた場所へ足を向けて声を投げれば、黒髪の青年がぱっと顔を明るくした。
「やっと解放されたのか?」
「お久しぶりです、ジル様」
 金髪の青年は静かに微笑んで頭を下げる。ジルはそれを肩を竦めて見せて止めさせると、黒髪の青年の隣に並んだ。黒髪の青年を挟んで静かに佇む金髪の青年は、ジルが知る中で嫌悪を持たずに接する事ができる狗だ。
「こんな夜会など、つまらないだけなのにな」
「仕方がないさ、それもお勤めの一つなんだから」
 あっけらかんと笑い飛ばす青年に、ジルは何処となく安堵を覚える。年が近い事もあるが、それ以上に、彼の纏う空気が他のどろりとした思惑や下卑た視線を感じさせないものだからだろう。彼はジルの狗については何も言わない。その理由も全て分かっているからという事も一つある。
「ダルクは割り切りが早い」
 黒髪の青年、ダルクは苦笑して狗と顔を見合わせ肩を竦めて見せる。
「そう言うなよ、フェンにも同じ事を言われるんだ」
 狗の名前を口にして、しばらく互いに空気を噛む。煌びやかな喧騒を少し遠くに感じながら夜風に当たるのは心地が良い。
 ジルは少しばかり、ダルクを羨ましく思う事がある。それは彼の飼う狗であったり、その在り方が永続的に続いているかのように見える面でもある。出会ってから一度も彼はフェンを手放す事無く、他を連れ歩いた事も無い。二人の間には確かに信頼関係が見てとれた。
 慣れた静寂を破ったのはダルクで、何か言おうとして言いきる前に口を閉ざす。
 何事かと問えば、明るさを遠く映した瞳で、泣きそうに笑って彼は狗を連れて去って行く。
「また、な」
 どこか頼りなさげな声は今まで聞いた事もなく、追いかけようと伸ばした手は空を切って落ちる。なぜか縫いついたように動かない足と、一度だけこちらを振り返ったフェンの凍える程に冷たい瞳に息を止めた。それはまるで、己の捨てた狗が恨めしげに見つめて来た視線に似ていた。
 それから数カ月に渡り、ダルクとフェンが夜会に現れる事は無かった。予定が合わないだけなのか、行き違いになっているのか。しかし、夜会の場には彼の親族の姿も見当たりはしない。
 母が流行り病で亡くなり、父は大っぴらに少年や少女の狗を幾人も侍らせるように飼うようになると、兄は飼っていた狗と共に家を出て行った。狗と縁を結ぶために家を出る等、愚かな事をしたと憤慨する父は、それでも残ったジルに安堵する。兄がした事を弟もするのではないかと危惧しなかった訳ではないが、狗を飼う事を嫌煙するジルは不要な気を起さないだろうと安心したらしい。
 その日もまた、狗も無く父に付き従い夜会で挨拶をしていれば、いつぞやの男爵がこれ好機と話しかけて来た。彼の背後にはあの日見た狗とは違う狗が居る。
「これはこれは、ご機嫌麗しいようで。挨拶もそこそこで大変申し訳ないのだが、明日の夜に狗の競りがある事はもうお耳に入っているだろうか? 内々の話ですので他言無用で願いたいのですが、西南の森の家が夜盗に襲われ、立て直す事も出来ず没落したのだと。そこの子息は生き残ったらしいのですが、もはや富みも権力もない身、狗も大半は殺され、子息の飼い狗は夜盗に攫われたとか」
「おお、何とも恐ろしい話だ」
「それで、子息は競りへ……。見目もさほど悪くはない、教養もあるので私も少しばかり狙ってはいるのですがね。他にも北の――」
 父へ向けて話す男爵の言葉がジルの中で渦を巻いた。彼が話した家については知っている。血の気が引く思いで、ジルは気分がすぐれないと断ってその場を後にした。信じたくはないが、男爵が口にした没落貴族はダルクの家だ。嘘であって欲しいと願いながら、ホールやテラスをくまなく行き来して目的の人物を探した。しかしどれだけ探しても彼の姿は何処にもない。
 夜会が終わり、帰って行く貴族たちを、ジルは祈るような気持ちでテラスからいつまでも見つめていた。
 翌日、競りに行きたいと告げたジルに、父は目を丸くした。
「私も、そろそろ狗を飼おうと思います。あまり狗を持たずにいれば父上にも恥をかかせるでしょう。散々に我儘を言って狗を変えては捨ててきましたが、教養もある元貴族の狗ならば飼い慣らす手順も楽しめそうです」
「それは、そうだが……」
「お願いです、父上。あの男爵様も父を立て私を気遣って下さいました。せめて好みのものがなくとも、出向く程度の恩は返さないといけない」
 切々と告げれば、父は納得し、競りへの参加を許可した。競りは誰でも参加できる訳ではない。しっかりと身分を提示できなければ見る事も出来はしない。父はジルへフローライトと家紋の彫られた金の鍵を渡した。鍵の上部に輝く宝石と家紋を一撫ですると、ジルは慇懃に頭を下げ父の元を去ると、競りの行われる会場へ向かう準備を始めた。
 競りは洋館の地下が会場となり、地下へと続く入口に老齢の門番と、彼を守るように騎士が付き添っている。
 鍵を見せれば、門番はどこそこの家の者で、それが本物かどうかを見分け先へと通してくれる。時折似せた物を作ってくるものもいるが、彼にはことごとくを見分ける記憶力があるようで、小手先の騙しは通用しないのだという。
 渡された目元のみの仮面を付け、蝋燭で照らされた暗い室内の一席に腰を落ちつける。ざわめく会場を煩わしく思いながらも、競りが開始されるのを待った。自分が今何をしているのかも分からなくなりそうだ。まるで遠くからその光景を眺めているかのような心地だった。
 オークショニアが一匹ずつ狗の来歴を紹介しては容姿等を見て会場の貴族たちは口々に値を口にし、欲しい者を取ろうと必死になる。何匹の狗をそうして見送ったのか、全て現実味を帯びない。
 見覚えのある黒髪と顔を目にした時、ジルの心は引き戻された。それを手に入れる為に必死で腕を上げる。まるでこの世など見てはいない、飼い主等、誰でも変わらないと虚ろな目をした黒髪の青年を、ジルは競り落とした。
 もはや目的は果たしこんな場所に用はない。次の狗が紹介され始めた所で、早々に席を立った。
 階段を上がり、老齢の門番と再び顔を合わせると、門番は好好爺という顔でひとつ頷いて見せた。
「本日はありがとうございましした、レイン家の御子息。お望みのものは如何いたしましょうか?」
「こちらこそ、お世話になりました。……ダル――いえ、狗は目隠しをして引き渡して頂けますか?」
「かしこまりました。さあ、こちらが狗の鍵で御座います。お気をつけてお帰りください。また、御贔屓に」
「ありがとうございます」
 ジルは鉄の鍵を受け取ると馬車の止まる出口へと向かう。扉を抜ければ、目隠しをされ、後ろ手に手錠をはめられた青年をスタッフが連れて来た。されるがままになる青年は口を開かない。ジルも黙ったまま連れて来た者にチップを渡して彼を引き取った。
 馬車に乗り自分の屋敷へと戻ると、先に父へ挨拶を済まし家紋の入った鍵を返す。狗は汚れている為、奇麗にしてから紹介すると告げれば、どうやら屋敷へと入る姿を見ていたようで粗方容姿は分かっているらしい。青年である事が興味の範囲外であるようで、さした苦言もなく好きにするようにと告げられた。
 ジルは人払いをし、浴室へ目隠しをされたままの狗を連れて行くと、黙ったままの彼の手錠をまず外した。一肌に温まった内側以外は冷たいそれを隅に寄せると、茫然と立ち尽くす黒髪の狗の目隠しに手を掛けた。
 するりと外せば、眩しさに目を細めて何度か瞬きを繰り返していた虚ろな瞳がゆっくりと開かれて行く。
 彼の顔が言葉も発する事がきずに固まる。しかしその瞳にはしっかりと意思の力が宿っていた。
「あ……ジ、ル……」
 ようやく出た言葉にジルは顔を歪めて、歪んだ視界で笑みを返した。
「こんな、ことでしか、君を救えなかった私を許してとは、言わない」
「嘘だ、どうして、ジル、どうして」
「私は、君を私の狗として買ったんだ」
 ただの自己満足でしかたない事は十二分に承知している。ジルのそれは彼の為の救いのようであって、本当に彼にとっての救いになるかなど分からない。
 ジルの新たな狗は、この日からダルクという名の黒髪の青年になった。



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