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花に埋もれる

「大切なものを作るのは、とても怖いものだよ」
 そう、彼は言った。
「だけれど、こればかりはどうやったて、感情の問題だもんね。ある日突然、大切になっちゃうんだよ。考えとは関係なしに」
 続けた彼は、赤いフードを揺らして笑う。




 風が撫でた先で、低く咲いた色がざわりと音を立てる。
 重なった花弁が集まって、個体から集合体の大きなものへとなり果てたそこで、樹の幹よりも濃く明るい茶色が色に埋まる。
 花畑という一つの絵のような集合体の中で、唯一はっきりと個体として区別されるその色は、近くにある色を手にして、ばっと空へ放った。
 解けるように個を見せて落ちてくる花に、黒い目を細めると、風とは違うもので花が撫でられる音が響く。
 緩慢な動作で起き上がって、音のした方に目を向ければ、この花畑に咲く度の花よりも赤い花が、色の中を進んできていた。
「今日も綺麗に咲いてるね」
 赤い花は、風にたゆたうようにゆっくりと彼のもとまでくると、微笑んだ。
 一目見た時、花のようだと思った赤は、ひらりと落ちるようなゆっくりした動作で隣に腰を下ろす。
 色んな花の匂いの中で、それだけは絶対に違う匂いを放って、鼻腔をくすぐった。
 その匂いに、赤以外のものを嗅ぎつけて、僅かに眉をしかめれば、赤は困ったように笑う。
「ああ、気付いた? 今日は特に酷かったから」
「…………」
「そんな顔しないでよ」
 困ったように笑いながら、赤がその白い指を彼の頬に伸ばした。
 さらりと頬を撫でられ、目元を指が這う。
「ウルフは優しいから、困る」
 そう細められた目はどこまでも優しい。
 綺麗で汚い、赤い花。
「だってね、こんなに近くにいて、こんなに好きでいてくれるのに、君は僕を押し倒したりしない」
「そんなの、だってお前……」
「わかってるよ、わかってる。僕が、君に触られたくないって思ってるから、優しい君はそれを叶えてくれてるんだって」
「レイズ……」
 ありがとう、と、笑う花のような少年に、ウルフは返す言葉を探したが、どれも唇を震わせることはなかった。
 年相応に、レイズは笑って、こてんと体を樹にでも預けるようにウルフに傾けた。
 汚れない匂いに、目を伏せれば、風が被った赤いフードを揺らす。
 “おばあちゃんの家”から、いつも通り“お母さんのお使い”をして戻ってきた体は、酷く重たい。
 重たいのは体だけではなく、意識も、心も、存在も。
 バスケットに詰められているのは、焼けたパンでも、葡萄のワインでも、林檎でもない。
 金の色をした汚く重い“花”だけ。
 白い布巾にラッピングされた花は、この一面に広がる集合体と何ら変わりない。
 一つよりも、集まった方が美しさを増す。
 見る者にもよるが、少なくとも、レイズも本物の花に囲まれて過ごすウルフにも、その意味は分かっていた。
「寝るなら、膝かしてやるから、横んなっとけ」
 手を伸ばしてくることもないウルフが、髪と同じ茶色の耳を風に揺らして、空を見上げた。
 青く晴れた朝の空は、清々しいまでに澄んでいる。
「……ん、そうする。ありがと」
 寄りかかっていたレイズは、へらりと笑うと、体をずらして花畑の中に沈んだ。
 太ももにかかった重さに、目を伏せれば、さわさわと風が駆ける音に合わせた小さな声が鼓膜を揺らす。
「僕は、大切なものなんて作りたくなかった」
「うん……」
「だって、こんな僕にそんなものができるなんて思ってもなかった、し」
「……うん」
「でもね、初めて怖いって、思って。今までだって、怖い思いはそりゃあしてたけど、そういうのじゃなくって」
 ぷつりと一輪、花を手折って空に掲げたレイズが、目を細めた。
「母さんもお金もどうでもいいわけじゃないけど、そんなのより、もっと……」
 手を下ろして、花を顔に寄せて唇で白い花弁を食めば、ぐっと手を掴まれて花を遠ざけられる。
 今まで自分から触れに行かなかったウルフが、泣きそうな顔でレイズの手を掴んでいた。
「なんで、お前は……」
 白い手が花を集合体の中に落とすのを見て、拘束を解けば、夕焼けよりも赤い瞳が嬉しそうに揺らいだ。
 離れていく手を追って、指を絡めると、レイズはその指先に慈しむようにキスをした。
 毒の花を育てる、節くれだった男の大人の指先は、何よりも美しい気がした。
「君だけが、何よりも怖い」
 大切だから、と、口の中で転ばせて、レイズは微かなまどろみの中に落ちて行く。
 毒の花畑の中で、綺麗で汚い赤い少年と、汚くて綺麗な狼は、まぎれるように呼吸するだけ。
 置かれたバスケットの中には、綺麗も汚いも持たないただの、コインが、静かに眠る。


(毒を含んで死ぬのは誰だっただろうか) 







補足・設定



赤ずきんは、お母さんのお使いでおばあちゃんの家へ行って、途中で狼と花畑に訪れ、おばあちゃんの家で猟師に助けられる。

赤ずきんはお母さんと二人暮らし。母子家庭。
決して裕福ではなく、もと娼婦の母が、娼婦をやめ仲介役となり、稼ぐために赤ずきんを男娼として働かせる。
『おばあちゃんの家』というのは、赤ずきんが男と寝るための場所の名前。
おばあちゃんの家で、赤ずきんは『猟師』によって金を貰い生活を助けられる代わりに、体を渡す。
猟師は客の呼び名。
狼は森の中の花畑で暮らすはぐれ者。
狼男に近い存在で、見た目と並はずれた脚力や嗅覚を持つ。人里離れて一人、花に囲まれ、花を育てて暮らしている。
綺麗な花は全部毒を持っていて、毒の花畑が彼の居場所。
今まで人を愛したり、好きになったり、大切に思ったりっていうのを知らず、また、自分が身売りをしていることからそういったことはないだろうと思っていた赤ずきんが、たまたま迷い込んだのが、狼の花畑。
そこで狼に会って、気兼ねなく過ごせる場所を見つける。
狼は赤ずきんが何をしているのかも分かっている。
両想いで、お互いに大切で愛しいが故に、何もしない。
自分が汚い事をしているんだって思って、それでもやめることはできない赤ずきん。
赤ずきんが手を伸ばさなければ、よっぽどの事がない限り、狼から赤ずきんに触れることはない。
狼は赤ずきんを見た第一印象は「綺麗な赤い花」。
毒の花畑に囲まれている狼が綺麗だと赤ずきんは思ってる。
大切だから手を出さない狼と、大切だから相手が触れるのを拒もうとする赤ずきん。
そんな狼×赤ずきんの話が書きたかった。
ちなみにおばあちゃんの家から返ってくる時にバスケットを埋める『花』は、身売りして稼いだ金の事。






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